「西の女帝」と称されるほど、関西で絶大な人気と権威を誇る上沼恵美子さん。
関西ローカルの長者番組である関西テレビ「快傑えみちゃんねる」で上沼恵美子さんが、YouTuber「ガジサック」ことキングコングの梶原雄太さんを「収録現場でいびり倒した」という噂が広まったのは記憶に新しいですよね。
上沼恵美子さんは、改編期を待たずして自ら番組を降板されたようです。25年も続いた長者番組があっけなく打ち切りになり、驚きでした。
そもそも上沼恵美子さんはなぜ関西でこれほどの影響力があるのでしょうか?
今回のゴシップラボでは上沼恵美子さんの昔や若い頃について徹底的に検証してみました!
調べてみたら、上沼恵美子さんの昔はかなり美人で魅力的だったことも判明!!
この記事では、上沼恵美子さんがなぜ「西の帝王」と呼ばれているのかがわかるでしょう!
それでは、どうぞ!!!
上沼恵美子の若い頃が可愛かった?
上沼恵美子さんのデビュー当時について調べてみました!
かなり美人だったようですね!!!
上沼恵美子は姉と漫才師だった?
上沼恵美子さんはもともと元々、歌手志望だったが、漫才コンビとしてデビューするはずだった姉の相方がデビュー前に失踪したため、
姉と漫才コンビを組むことになり、1968年4月中旬頃大須演芸場の舞台に立ったようです。
淡路島の中学校を卒業したあと、上沼家一家は上沼さんと姉の芸能活動を優先するため、大阪に引っ越しました。
そして中学卒業後である1971年に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の妹海原千里としてデビュー。
同年に、上方お笑い大賞銀賞を受賞したようです。
すごいですね!!!
高校生ながら巧な話術で一躍スターになり、当時の人気アイドルで白雪姫と称されていた天地真理に倣い、「漫才界の白雪姫」と呼ばれていたこともあるそう!!
↑可愛い!!上沼恵美子さんにもこんな可愛い時があったんですね!(スミマセン)
可愛くて面白いなんで、最強ですね!!!
そして、1973年にはNHK漫才コンテスト優秀敢闘将を受賞し、1975年にはレコード「大阪ラプソティー」が40万枚を売り上げて大ヒットしたようです。
↑ちょっと、誰ですか?と言いたくなるほど美人ですね!!本当に上沼恵美子さん???
そして大阪ラプソティーもいい曲ですね!昭和の雰囲気が色濃く出してくれる名曲で、とっても耳に残る曲です。
私も一度聞いてから、クセになり何度も聞いてしまいました、、、。
上沼恵美子さんは、現在でも歌手活動をしており、大阪ラプソティーの他にも当時から今もなお数多くの名曲を作り出しているようです。
歌手志望だっただけあって歌唱力も表現力も抜群ですね!!上沼恵美子さんさんの凄さを実感してしまいます!!
若い頃はこんなに可愛かったんですね!!かなりモテモテだったでしょう!!!
上沼恵美子の旦那さんは?
上沼恵美子さんの旦那さんは、元メディアプルポ代表取締役会長(元関西テレビプロデューサー)の上沼真平さんです。
お二人の出会いは1975年、上沼恵美子さんが20歳の時に出演した関西テレビ「日曜ドキドキパンチ」で、当時関西ディレクターだった上沼真平さんと出会ったようです。
上沼恵美子さんは交際当初、夫・真平さんのことが好きで好きでたまらなかったようです。
上沼恵美子さん自身から真平さんに熱烈なアプローチをして大恋愛の末に結ばれたそうですよ!
この結婚については、親族・親類が猛反対だったようですが、反対を押し切って
当時22歳の上沼恵美子さんは1977年5月22日に8歳年上の上沼真平さんとご結婚に至ったようです。
ちなみに上沼恵美子さん曰く、「怒られているときは下を向いて見えなかったけど、見たらすごいタイプ」だったようです。
↑なかなか強烈なエピソードですね、、。
結婚を機に姉とのコンビも解消し、ラスベガスからカウアイ島へと渡る新婚旅行を経て、芸能界を引退したようです。
人気絶頂期の解散ということで世間は大騒ぎだったようですね、、、
若いのに、よほどの強い想いがあったのでしょう!!
上沼恵美子は息子を出産後に芸能界復帰?
結婚を機に芸能界を引退した上沼恵美子さんですが、1978年4月には長男を出産されました。
長男を出産した3カ月後である7月にはなんと
本名である「上沼恵美子」として芸能界を復帰!!
1983年5月には、次男(後に構成作家となるゆじぇーろ)を出産しています。
芸能界復帰については、「自分には専業主婦は耐えられなかった」と語っていたようです。
確かに上沼恵美子さんが、専業主婦って向いてなさそうですよね、、。
上沼恵美子の凄さとは?
芸能界を復帰した上沼恵美子さんですが、それまでの活躍も凄かったですが、そこからの活躍が更に素覚ましかったようです!
上沼恵美子の復帰後の活躍は?
1978年の朝ドラ「鮎のうた」に出てからは本格的に、芸能界に復帰した上沼恵美子さんですが、
芸能界復帰の時に夫・真平さんの仕事のことを考えて、
「(仕事をする範囲として)西は淡路・東は京都まで」
と約束を交わしていたようです。
夫・真平さんとの約束で東京進出はせず、関西を拠点にバラエティー番組を始めとしたさまざまな番組で活躍。
「実家は大阪城」などの大ボラを連発したり、漫才師時代に自分達をイジメた先輩芸人を暴露するなど関西人が好む話題を速射砲のように繰り出し、一躍お茶の間の人気ものなりました。
1994年1995年の「NHK紅白歌合戦」では紅組の司会を務め、
2003年の長者番組付大阪地区では、明石家さんまさん、島田紳助さんを抑えて芸能界1位になった実績もあるようです。
あの明石家さんまさんや島田紳助さんより人気があったってことですよね?
やっぱりすごい人なんですね。。
上沼恵美子は西の女帝?
「西の女帝」と言われるほど関西では誰もが知る人気タレントになった上沼恵美子さんですが、
そのきっかけはなんだったのでしょうか?
「上沼さんが強大な力を持つようになったのは平成10~20年くらいの時期ですね。上沼さんさえ出演すれば、どの番組も漏れなく視聴率が爆上がりする、そんな時代でした。
歯に衣着せぬ舌鋒の鋭さ、ゲストを上げたり下げたり自由自在に操作できる話術がサブカルチャーの時代にマッチしたんです。夫の方針で東京進出できなかったのが、かえって『浪速の至宝』という雰囲気をたかめました」
引用:YAHOO!ニュース
上沼恵美子さんのすごいところは、なんといっても「視聴率」のようで、上沼恵美子さんの出演する番組はすべて高視聴率をあげていたようなんです!!!
視聴率の女神とまで呼ばれていたほどで、NHK「バラエティー生活笑百科」(初回から2013年9月28日放送回まで28年半レギュラーと務め降板)を始めとして、毎日放送・朝日放送・関西テレビ・読売テレビと関西主要地上波のすねてに冠番組を持っていたこともあるようです。
それはつまり在阪の放送局を制覇していたことになるようです。
特に「快傑みちゃんねる」が毎週月曜日オンエアの時代は(番組開始の1995年7月から2009年3月まで)は本当に凄かったようで、視聴率が20パーセントを超えるなんでザラだったようです。
ダウンタウンがMCをつとめたフジテレビの人気音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の2時間特番を放送する際であっても、視聴率で勝っている『えみちゃんねる』はその座を譲りません。『HEY!HEY!HEY!』は仕方なく関西のためだけに異例の『2時間特番の1時間バージョン』を編集せざるをえないほどでした。当時の関西はダウンタウン<上沼恵美子だったんです
引用:YAHOO!ニュース
ダウンタウンさんより上沼恵美子さんだったなんでその凄さが見えてきますね、、。
全国ネットの番組を相手とっても、ビクともしない不動の人気を得た上沼恵美子さんですが、
大阪ローカルタレントに中で、人気・実力・権限に三拍子すべてそろっている「最後の大物」とも呼ばれていたようです。
色々調べてみると本当にすごい人なんですね!!!
上沼恵美子とキンコン梶原との騒動は?
そんな中、人気バラエティー番組関西テレビ「快傑えみちゃんねる」が2020年7月24日をもって打ち切りになりました。
1995年7月から始まり、全1056回放送されたことになるようです!!
収録時点では番組終了は決定していなかったようで、番組最後にナレーションで最終回を報告し25年の放送に幕を閉じたようです。
この番組の打ち切り終了に巡っては、さまざまな週刊誌やスポーツ誌がドラブルを報じていました。
6月中旬に行われた番組収録中に上沼恵美子さんが、キングコング梶原さんの対してブチギレ激怒して、キングコングが梶原さん側の申し出を受けて番組降板が決定しました。
これに対して関係者は
「キングコングの梶原を公開処刑のような状態に追い詰めてほとんどカットとなった収録回も、きっかけは『収録当日に梶原から挨拶のメールが来なかった』、たったそれだけが原因なんだそうです。
新型コロナウイルスの影響で2か月も大阪へ来れなかった梶原は、当日に上沼さんの楽屋へ直接挨拶へ出向くつもりでした。ところが上沼さんは梶原からのメールの着信を確認するために、なんと朝6時から起きて待っていたそうなんです。
どっちが悪いわけではない。価値観の違いですよね。でも僕らの感覚で言うと、梶原が特に失礼だったわけではないんだよなあ」
引用:YAHOO!ニュース
と語っているようで、
お互いに言い分はあるのでしょうが、なぜ上沼恵美子さんがこんなに怒ったかという「とてもかわいがっていたから」という理由もあるのかもしれません。
元々、上沼恵美子さんはとっても義理固い人なんだそうです。
恩や出会いに報いたい、そういった気持ちを抱く上沼恵美子さん、しかし、他者にも同じレベルで感謝を求めてしまうようです。
その考え方に、年下の出演者や若い視聴者とすれ違ってしまう原因になってしまうようです。
こうした結果共感が得られなくなり、視聴率もひと頃ほど高い数字を獲れなくなってしまった。
こういったことが番組終了にもつながってしまったのかもしれません。
でも25年も続いた長者番組があっけなく終わってしまうのは、少し寂しいですね。
上沼恵美子の現在は?
「快傑えみちゃんねる」「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」は終了してしまいましたが、上沼恵美子さんの現在の出演番組は下記の通りで、民放の全番組が司会者として出演かつ冠番組のようです。
- 上沼・高田のクギズケ!
- ラジオ「上沼恵美子のこころ晴天
色々騒動はありましたが、すべての番組が冠番組で尚且つ、番組名に名前が入っているってやっぱりすごいですよね!!
芸能界も引退か?という質問にも、
「私はもう少しやります。もうちょっとだけやって、そのあとはまっすぐ地獄に落ちていきたい」
と活動継続を宣言しているようですし、まだまだ活躍してくれそうですね!!!
上沼恵美子の年齢、身長、本名は?
最後に、上沼恵美子さんのプロフィールについて調べていきたいと思います!
上沼恵美子の基本プロフィール
本名 | 上沼 恵美子(かみぬま えみこ) |
生年月日 | 1955年4月13日 |
出身地 | 兵庫県三原郡福良町 |
血液型 | O型 |
身長 | 164cm |
年齢は2024年で69歳になるようです。
出身は兵庫県出身のようです。
私自身は関西に住んでいるわけではないので、勝手なイメージですが、コテコテの関西弁を話して軽快なトークで面白いですが、毒舌なイメージがありますね、、。
関西の方から見ると、または違うのでしょうか?
あのYouTuberのヒカルさんが「上沼恵美子さんめっちゃ好き」とつぶやいていました。
ヒカルさんも関西人でしたね!!
では上沼恵美子さんが、どんな経歴をお持ちなのか早速、調べていきたいと思います!
上沼恵美子の生い立ちは?
上沼恵美子さんは3人姉妹の末っ子として生まれ、6歳上の姉と2歳上の兄がいます。
兵庫県にある淡路島の中にある三原郡福良町(現・南あわじ市)の出身で、島内の中学校を卒業したようです。
父親は銀行員をしていて、母親は上沼恵美子さんを出産後、淡路島の自宅でお好み焼き屋や焼き肉屋を営んでいたようです。
お父さまは演芸が好きで、幼少期から姉妹揃って演芸や歌を見たり聞いたりして育っていたようで、
祖母は浄瑠璃の師匠、太棹三味線の名手だったようです。
左がお姉さんで右が上沼恵美子さんです。とっても可愛いらしいですね!!
子供の頃から姉は浄瑠璃のものまね、上沼恵美子さんは美空ひばりのものまねをしていたようですね。
幼少期から数々ののど自慢大会に出場し、「のど自慢荒らし」と呼ばれるほど歌が上手だったそうです。
当時のライバルはあの天童よしみさんで、毎回天童が優勝するため、上沼恵美子さん自身は準優勝だったようです!!
子供のころからすでに才能を発揮していたんですね!!
上沼恵美子若い頃のまとめ
上沼恵美子さんについて調べてきましたが、お姉さんとの漫才コンビ「海原千里・万里」としてデビューを果たし、
持ち前の話術で漫才師として活躍。さらには素晴らしい歌唱力で歌も大ヒットをしていました!
とっても可愛くて、アイドル的な人気があったようです!
そして、結婚を機に電撃引退→出産→芸能界復帰を果たし、関西を拠点に再ブレイクを果たしたようです。
関西での上沼恵美子さんの人気は絶大で、「漫才師」「歌手」「テレビタレント」という3つの分野で頂点を極めた超一流芸人だということがわかりました!
「偉そうにしている」などと言われたりもしますが、女帝なので少しくらい怖いのは仕方ないのかもしれませんね。
それだけの偉業を成し遂げていて、まさに「西の女帝」なんですから!
調べれば調べるほど上沼恵美子さんの凄さがわかりました!これから上沼恵美子さんの対してみる目が変わりそうです、、!
今回の「ゴシップラボ」は以上です。最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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